「津城」と「伊賀上野城」。
ウェブアルバムにまとめてみましたので以下のリンクからご覧ください。
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アルバム 「高虎の城」
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津城 |
後に秀吉の弟、秀長に仕えて深く心酔し、その死に際して一時は出家するものの、秀吉の懇願により還俗し、九州征伐、朝鮮の役で活躍。
秀吉の死に際しては、いち早く家康に接近し、関ヶ原、大阪の陣で大奮闘。ついには徳川家から外様第一等の確固たる信頼を得るに至った。
とかくその変わり身の早さで、あまりよくは言われていない高虎ではあるが、先見の明に優れていた事は揺ぎ無い事実。
三重県民・・・(いや津市民かな?)にとっては、どうあろう郷土の英雄に違いありません。その波乱万丈の生涯をネタに、大河ドラマ化を懇願する運動が地元では真剣に取り組まれています。
その子孫が維新ではいち早く官軍に寝返った事実も、ストーリーとしてはいかにもドラマチックではないでしょうか。
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伊賀上野城 |
そんな高虎が加藤清正と並ぶ築城名人であったことは周知の事実。徳川の天下普請の折にも必ず城の中核を担当するのが常であったといいます。
自らの居城、伊賀上野城の高石垣も、清正の武者返しの石垣と並び、日本城郭の石垣の美しさの最高傑作といっても過言ではありません。
惜しむらくは三重県内に高虎当時の形の建造物がひとつも残っていない事でしょうか。
ちと残念。
高虎の城をデジブックでもご覧頂けます。よろしければ以下のリンクよりご覧下さいませ。
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